「秘密の皇帝」董承の反乱とは何だったの?

「秘密の皇帝」はご覧になりましたか?
今までにない三国志の世界を楽しめるドラマ。
あくまでもフィクション。大胆すぎる脚本。
この記事では「董承の反乱」について、史実との違いを考えてみます。
そして、登場人物についても、ドラマと史実とで比べてみようと思います。

「董承の反乱」はドラマにおいて重要な反乱

三国志といえば、曹操や劉備、そして諸葛亮孔明…。
董承(とうしょう)って誰?
と感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。

「秘密の皇帝」の中でも、特に目立つ人物ではありません。
でも、この「董承(とうしょう)の反乱」は、ドラマにおいて重要なポイント。
なぜなら、この反乱によって、偽物の皇帝が皇帝らしくなっていくからです。

このドラマは献帝が亡くなり、その双子の弟:劉平が皇帝になりすまします。
そして、皇后伏寿に叱られながら皇帝として奮闘。
常に伏寿に主導権を握られていました。

そんな彼が、この「董承の反乱」で自分の感情をむき出しにするシーンがあります。
そして、一度は伏寿の元を離れ、でもやはり気になり戻る。
そこから、彼は成長していきます。

ですから、この「董承の反乱」は「秘密の皇帝」にとっては非常に大切な反乱になります。

その後のドラマの展開が気になる。
献帝と伏寿との関係が微妙に変化していく、そんな期待が出てきます。

 

董承の反乱とは?

では、史実における「董承の反乱」とは、どんなことだったのでしょうか?

董承(とうしょう)は後漢の外戚で重臣として献帝に仕えました。
娘は献帝の側室です。

献帝が曹操に不満を抱き、董承に「曹操討つべし」と言ったのです。
「曹操打倒、漢王朝存続」を掲げ王子服(おうしふく)らと計画しますが、
計画がばれ、曹操に捕まります。
そして、一族皆殺されてしまいました。

この「曹操討つべし」という密詔。
史実でも衣帯詔 (いだいしょう)といい、帯の中に隠していたと言われています。
ですから、この反乱は董承が企てたものではなく、献帝の命を受けての行動なのです。

曹操は表面上は、献帝を守るという立場を示していましたが、実際には権力は自分のもの。
ですから、献帝は傀儡(かいらい)状態。

傀儡(かいらい)とは操り人形ですね。

「秘密の皇帝」の中での「董承の反乱」とは?

では、「秘密の皇帝」のドラマの中ではどうでしょう?

亡くなった献帝の詔ですね。
そして王子服らと計画し、実行しますが失敗。

ここには楊修(ようしゅう)の裏切りがあった。
でもこれは計画的。

そうです、はじめから計画された失敗。
伏寿らが仕組んだ反乱。

え?なぜ?
そもそも史実では楊修は曹操側の人です。
この反乱を曹操側に漏らすことで、曹操陣営に入り込む、スパイのような設定になります。

そのうえ、実はこの時代にまだ楊修は子供です。
まだ表舞台で活躍している人物ではありません。

そして、司馬懿(しばい)。
彼もまだ、この時代の人ではありません。

ドラマでは、史実で登場する人物ではあっても、あり得ない時代に登場させています。
そんなところも面白いですね。

でも、三国志に詳しくない方が見たら誤解しそうです。
でも、ドラマチックな演出だから、そんなところも楽しい。

そして、この反乱で、董承の娘:董妃は亡くなります。
逃亡中に馬から落ち、身重の彼女は出血し亡くなる。

王子服は愛する唐瑛の刀で亡くなる。

史実で亡くなった方々はここで亡くなっています。
ここは辻褄合わせているのですね。

しかし、献帝は董妃を曹操に殺され、のちに伏寿も殺され、本当にお気の毒です。
これがこの時代、力を失った後漢王朝の悲劇ですね。

そして、この「董承の反乱」。
ドラマでは、献帝が偽物だという事実を守るため。
楊修をスパイとして曹操陣営に送り込むために仕組まれたもの。

しかし、まさかの董妃の死。
これには献帝(劉平)は怒り心頭。
穏やかな彼も本気で怒りますね。

普段優しい人が本気で怒ると怖い。

もう皇帝なんてやってられない、と伏寿の元から去っていきます。

結局は戻ってきますが、劉平が成長した一幕です。
傀儡としてではなく、「自分の意志」を持つ、彼なりのやり方で漢王朝を守ろうと思ったのです。

ここからが、物語のスタートと言っても過言ではない。
そんな大事な反乱だと思います。

史実では「董承の反乱」後、献帝はどうなった?

では、史実ではこの「董承の反乱」失敗後、献帝はどうなったのでしょうか?
そうです、力を失います。

この反乱失敗で、献帝は本当に傀儡、名ばかりの皇帝になってしまったのです。
それまでも力がなかったのに、さらに力を失います。
この董承の反乱の失敗で、献帝の味方は次々に処刑されてしまい、宮廷内で孤立無援の状態。
もはや、曹操の言いなりになるしか自分を守ることができなかったのです。

曹操が丞相(じょうしょう)として、政治や軍事を握ります。
表向き詔は献帝が出しますが、内容は曹操が決めたもの。

丞相(じょうしょう)って、よく出てきますね。
皇帝を補佐し、すべての官僚のトップ。
ですから、かなりの権力者です。

その後、伏寿(皇后)も失い、曹操の娘が皇后になりますね。
伏寿は曹操の息子:曹丕によって賜死(しし)させられます。

そして、曹丕に迫られる形で禅譲(ぜんじょう)。
禅譲(ぜんじょう)とは、自らの意志で帝位を譲るということでありますが、実際には迫れて譲りました。

その後、山陽公として余生を過ごしたと言われています。

さて、まだ「秘密の皇帝」を最後までご覧になっていない方、このあたりがドラマでどのように描かれているか、楽しみですね。

このように、少し史実を知りながらドラマを視聴すると楽しいかと思います。
参考になったらうれしいです。

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