『美人骨』周生辰の最期の言葉に込められた愛と宿命

中国ドラマ『美人骨(原題:周生如故)』。
静かに、しかし強く心を揺さぶる作品です。
とりわけ心に残るのが、周生辰の血で書かれた最期の一文.

「辰此一生,不负天下,唯负十一」。

この言葉に、彼のすべての想いが詰まっていると思うのです。

中国ドラマ「美人骨(周生如故)」の魅力

このドラマは古代風の架空の世界を舞台にした、静かで繊細な恋愛物語です。
主演は任嘉倫(アレン・レン)と白鹿(バイ・ルー)。
派手な演出は控えめながらも、登場人物の内面や感情が細やかに描かれています。
詩的なセリフが多く、中国語学習者にもぴったりの作品です。
その中でもひときわ印象に残るのは、アレン・レン演じる周生辰の血書に書かれた言葉

「辰此一生,不负天下,唯负十一」

「周生辰として生きたこの一生、私は天下には背かなかった。ただ、十一、お前にだけは私は報いることができなかった。」

この言葉の意味と、その想いについて考えていきながら、「美人骨」の魅力を考えていきたいと思います。

このドラマ、美しくも儚い純愛ドラマ、美しすぎるバッドエンディング、などと言われています。
純愛を貫き続けるふたり。
思い合いながらも、言葉にできない、言葉にすることが許されないふたり。
主人公がはじめて胸の内を語った最初で最後のラブレター、それがこの血書。

そして、その血書を読んだ時の時宜の表情も忘れられないですね。
残酷な処刑によって命を落とした愛する人・・・。
彼はやはり自分が尊敬し、愛するべき人だった。自分が選んだ、ただひとりの愛し続ける男性。
そう思ったのではないでしょうか?

なぜ、ここまで悲しい切ないドラマに仕上がっているのでしょう。
でも、本当の愛とは何か?
教えてくれるようなドラマ。
余韻が半端なく残るドラマです。
そして、ドラマの内容すべてがこの「辰此一生,不负天下,唯负十一」に込められていると感じます。

「辰此一生,不负天下,唯负十一」血書に込められた静かな愛と後悔

辰此一生,不负天下,唯负十一。
Chén cǐ yī shēng, bù fù tiān xià, wéi fù Shíyī。

「周生辰として生きたこの一生、私は天下には背かなかった。ただ、十一、お前にだけは私は報いることができなかった。」

それは、静かに、でも魂の叫びを血で染めた、そんなラブレター。
周生辰が最期に書き遺したこの一文に、彼の生涯が凝縮されているように感じます。

周生辰は国のために戦い、権力に背を向けても民を思い、信念を守り抜きました。
「不负天下」とは、彼が一生貫いた忠誠そのものです。
それでも「十一」だけには、思いを伝えることも、共に生きることも叶わなかった。

一生結婚しない、子孫を残さないと誓ってしまった運命。
彼は死を前にそのことをどう感じたのでしょうか?
それも彼の生き抜くための選択だった。

もし、あの誓いをしなければ、とっくに命を落としていたかもしれません。
時宜と出会うことも、愛を知ることもなかったかもしれない。

最後の最後に、彼がたった一人に向けて書いた「负十一」には、すべてを犠牲にして守った人生の中で、ただ一つ叶わなかった、愛する人を守ることができなかった後悔の念、“心の叫び”が込めれているように感じます。

愛する人と結ばれることが難しかったであろう時代。
でも、心の中で愛し続けることは誰にも邪魔できません。
そして、その想いを死の間際に血書として言葉にすることができたのです。

何よりも美しい、このドラマ全体を象徴する“愛”そして、“後悔”を感じます。
そして、この血書を受け取った時宜は、彼の“愛”を確実に受け取りました。
一生あなたについていく。
そう心に誓ったのでしょう。

短い詩に込められた想いを胸に、もう一度見たいと思わせるドラマです。

「负十一」に込められた詩的な中国語表現

「负」という一文字が持つ、深い意味に、日本語では表現しきれない中国語の表現方法を感じます。

「負」は裏切りや後悔、そして何かを背負う。
そんな意味があります。

「負けた」とも、「背いた」とも訳される「負」という字。
ですが、ここでは“十一を守れなかったことへの後悔”
十一の気持ちには気づいていた。そして自分自身の気持ちにも気づいていた。
でもその感情に素直に行動できなかった心の痛みのように響きます。

そして、周生辰にとって時宜は、愛することが許されなかった女性。
それでも愛した。
君の愛にも気がついていたのに、その愛を受け止めることができなかった。
だからこそ、最後に「負けた」「裏切った」「背いた」という「負」という表現をしたのでしょう。

中国語ではこうした短い表現の中に、様々な想いを折り重ねています。
「负十一」は、たった三文字。
でも、それは愛と後悔と、これかれも永遠に愛するという誓いを込められていると思います。

この言葉を思うとき、彼はどんな思いだったのか?何を後悔していたのだろうか?
考えれば考えるほど、私の心は揺れ動きます。
それとともに、後編の現世の物語に続いていくのだと、生まれ変わって結ばれることを願う言葉として響くのです。

そして思うのは、「後悔」ではなく、愛の証だったのかもしれないと思うのです。

たとえ共に生きられなくても、
たとえ彼女を幸せにできなかったとしても、
「彼女を愛したこと」は、彼にとって
唯一“天下に背く”行為であり、唯一の幸福だったのかもしれません。

彼はずっと静かに、忠義を守ること、そしてひとりの女性を愛することの葛藤の中で生きてきたのでしょう。
とても苦しい思いをしてきているでしょう。
でも、それでも「時宜を愛する」という一点だけは心の中で自由だった。
そう思うことで私の心も救われるのです。

そして「负十一」の言葉に救われた時宜。
美しい純愛を感じずにはいられません。

現代人にはない美学を感じる中国ドラマの美しさ

現代の私たちには、「忠義のために愛を捨てる」という生き方は理解しづらいものかもしれません。
でも、このドラマが深く胸に残るのは、まさにその理解しがたい美しさと切なさです。
国に殉じる生き方、言葉にしない愛、自分の想いよりも、国や家族や他者を優先する生き方。

それは私たち現代人にとっては、なかなか理解しにく生き方。
まあ、昔はそんなだったのだろうな、とは思っても、何とかならないの?と思いたくなるもどかしさがあります。

しかし、その不自由さの中に美しさが生まれるのです。
表面的には二人の愛は結ばれません。
でも心の中では結ばれる、魂と魂の結ぶつき・・・。

中国ドラマにはそんな美しさがあります。
とりわけ、この『美人骨(原題:周生如故)』にはその美しさが際立っていると感じます。
その美しさを盛り上げたのが、アレン・レン(任嘉倫)の演技です。

アレン・レンが演じた周生辰は、感情をあらわにすることはほとんどありません。
ひとつひとつの視線、一瞬の呼吸、わずかな表情で、彼の思いが伝わってきます。
もともと、アレン・レンは眼の演技に優れていると言われています。
このドラマで彼の演技の神髄を見たような気がします。

処刑を待つ牢獄に縛りつけられていた周生辰。
自分の人生を振りかえり、十一を思う姿。
そして、彼はすべてを受けいれ、そして十一を愛したことに後悔はなかったと思わせる表情。
愛を告げられなかった後悔はあっても、彼女を愛したことは後悔ではない。
そんな想いを感じました。

「美人骨」はとても静かに流れていくような、時に退屈と感じてしまうかもしれない描写シーン。
しかし、その静けさこそ、心に残るのです。

ただ悲劇のドラマではなく、そんな美しさをぜひ味わっていただきたいと思います。

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