「流水舞花~遥かなる月落城~」タイトルに隠された意味

中国ドラマの邦題って、時々「え?センスない。なんでこんなタイトル?」と思うことありませんか?
まったく原題からかけ離れていたり、内容とずれていたりする感じがして残念に思うことがあります。

アレン・レン主演の「流水舞花~遥かなる月落城~」の原題は何かご存じですか?原題は「流水迢迢」
原題と邦題の違い、そのタイトルに秘められた思いを私なりに考えてみました。

原題《流水迢迢》とは何か?

流水迢迢(liú shuǐ tiáo tiáo)
~流れる水は遥か遠くへと続いていく~

この言葉の意味を読み解いてみました。

流水:流れる水。時の流れ、人生、運命などを象徴。

迢迢:遥か遠くまで続くさま。詩経など古典に見られる語です。


例えば、「迢迢牽牛星(qiān niú xīng)」遠く離れた想いや距離感を表します。
牽牛星は織姫伝説の彦星です。
日本では「織姫様と彦星様」といった方が親しみがわきますね。

ふたりは愛しながらも天帝の怒りによって引き裂かれてしましました。
天の川を挟んで想い合うふたり。
そして七夕の夜だけ会えるという伝説。
その遠い距離の長さ、時間の長さを表したのが「迢迢」という言葉です。

《流水迢迢》にも、「迢迢」が使われています。
これは時間や空間を越えて流れ続けるものを意味します。
たとえば“想い”や“記憶”、そして“宿命”を象徴しているだと思います。

このドラマは最後、アレン・レン演じる衛昭は亡くなり、リー・ランディー演じる江慈とは
現実世界では結ばれません。でも心の中では結ばれている。
江慈と衛昭は時空を超えて結ばれているのです。
この世界では離れ離れになってしまったけれど、永遠に結ばれている。
そんな終わり方を感じました。
悲しいけれど、江慈の心は穏やか・・・。
衛昭が亡くなった数年後、衛昭の子供を連れた江慈の表情に、そんな気がしました。

中国ドラマはこうした心と心の結びつきを大切にする、そしてそれを象徴するような詩的なタイトルが多いように思います。
そして、このタイトルを想いながらドラマを視聴すると、見終わった後に深く余韻が残ります。

邦題≪流水舞花~遥かなる月落城~≫とは?

流水は原題と同じで、時の流れ、人生、運命などを象徴しています。
そして舞花は?

「舞花」は花が風に舞う様子。儚くも美しい人生、翻弄される女性たちの姿を現していると思います。
流水と合わせて、「水に舞う花」流される運命、でも美しく舞いながら生きる。
そんなイメージでしょうか?

原題は抽象的な印象だとしたら、邦題はより視覚的なイメージを感じますね。
そして、女性に焦点が当たっているように感じます。

サブタイトルに「遥かなる」とつけているのは、原題の「迢迢」を意識してるのでしょうか?
遥かなるという意味、距離や時間が隔たっている様子を表す言葉。
空間的に時間的に隔たっている。

そして、「月落城」。
衛昭の育った架空の地名(城)。
月が落ちるなんて、なんだか不吉な気もしますが・・・。
美しくも滅びる運命、衰退…。でも月はまた昇る。必ず再生する。そんな期待を感じさせます。

このサブタイトルがあることで、原題の想いを感じさせてくれるように思います。

原題、そして邦題に思うこと

以前に比べて、邦題が納得できることが増えてきたと思います。
このドラマの邦題も私はそこそこ満足しています。

でも言葉の選び方で少し印象が変わってしまうのも事実。
邦題の舞花を見ると、少し詩的な印象が薄れてしまうように感じます。
どこか華やかさを感じてしまう。そして。女性の美しさや運命に翻弄される姿を思描いてしまうのです。

確かにこのドラマ、江慈が無邪気なかわいい田舎娘だったのが、思慮深い女性に成長していく様子も素敵に描かれています。
でも、やはり衛昭の苦悩に満ちた人生、その中で一人女性を愛する。そして、彼女と歩む人生よりも復讐、月落城の亡き城主の息子としての使命を大事に死を選ぶ。そんな彼の姿、そしてその彼を愛する江慈の想いを感じる詩的な原題の方が好きです。

皆様はどう思われますか?
是非、タイトルに秘められた想いに浸りながらドラマを楽しんでみてください。

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